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広報担当の古橋です!
今回は弊社代表の須貝社長にインタビューした様子をお届けします。
須貝社長の生い立ちから通信業界に入るまでの経緯をお伝えいたします!
*それでは自己紹介をお願いします!*
須貝浩紀(すがいひろき)
1996年10月9日産まれの26歳になります。
血液型はB型です。
産まれは東京都武蔵野市吉祥寺、出身は埼玉県幸手市です。
趣味はお酒を飲むことで、最近ゴルフを始めました⛳
*今までの人生から会社設立までの経歴を教えてください*
小学2年生から地元のサッカー少年団に入り、中学・高校・大学までとサッカーで進学、Jリーガーを目指していましたが、大学1年生の3月、学年が上がるタイミングでサッカー部を退部しました。
2016年11月に某派遣会社にアルバイトスタッフとして家電量販店にてモバイル(携帯)のキャンペーンのお仕事を開始、大学在学中の2018年11月2日にスタッフ仲間が増えた為、アドバンスジャパン株式会社を設立して現在に至ります。
*ずっとプロサッカー選手目指していたんですか?*
そうですね。小学6年生の頃からサッカー選手を目指していて、クラブチームに入りました。
高校では強豪校の正智深谷高校でサッカーをやっていました⚽
*ポジションはどこなんですか?*
ゴールキーパーです。
*珍しいポジションですね!*
そうですね!11人の中で1人だけ手を使えるポジションです。
変人が多いポジションでもあります。
冗談ですが笑
ただ、キーパーは責任感がないと出来ないポジションになるので、それが今に活きているのではと思いました。
*経歴のところで、大学1年生でサッカーを辞めてるようなんですが、どうしたんですか?*
そうですね。小学生の時からずっと目指していたプロサッカー選手なんですが、歳を重ねる毎に現実を知ってくるじゃないですか。
こういう言い方をすると反感を持たれるかもしれませんが、お話しすると、当時の僕の実力では
行けたとしてもJ3のチームかそれ以下じゃないと厳しい
と自己評価した中で、それだとアルバイトをしながらじゃないと生活が出来ないなと思ったんです。
それだと、厳しい話で将来結婚して子供が産まれて、子供が自分のように私立の大学まで何不自由なく育てるのは厳しいんじゃないかと思い、サッカー部を辞める事に決めました。
*サッカー部を辞めたあとにどんな大学生活を過ごしていたんですか?*
実はただ辞めた訳じゃないんです!
当時19歳の僕は現実を受け止めて将来について本気で考えていたんです。
須貝家は父・母と弟の自分を入れて4人家族なんですが、母は共働きで、頑張ってくれていて、僕を私立の大学まで通わせてもらっていました。
サッカーの遠征やスパイクなどにお金も凄いかかる中で、それでも父はサラリーマンで母はパートをしてくれていました。
自分の子供も同じように、何不自由なく生活を過ごさせてあげたいと、当時の僕は考えました。
そんな中で、何の職業が稼げるのかと思った中、色々試行錯誤した結果、警察官だったんです。
大学2年生の4月からは将来の夢がプロサッカー選手から警察官に変わりました。
*初めて聞きました笑*
言ってなかったでしたっけ?笑
そうなんです。警察を目指すと決まったからには絶対なるしかないと思い、まずはじめに、柔道を始めました。
地元の幸手市にある会田道場に入門し日々稽古をし初段(黒帯)になりました!
ある程度、勉強もしないといけないので専門学校の大原にも入りました。
入学金なども、両親に頭を下げてお願いして、なんとか入れてもらいました。
大学生だったので、友達とも遊びたかったので、バイトに明け暮れていました。
コンビニ🏪焼肉屋🥩居酒屋🍺ラーメン屋🍜 色々経験をしました。
*そうだったんですね!柔道黒帯は凄いですね‼️
アドバンスジャパンを設立したきっかけになる
派遣のキャンペーンはどういった経緯で入ったんですか?*
警察官になるには黒帯取るしかない と思って笑
色々なアルバイトをやってる中、親友のお兄さんから高時給のアルバイトをやってみないか?と誘われ、入ったのが通信業界をやっている派遣会社でした。
*そうだったんですね!*
そうです。そこで2年半頑張った結果、スタッフ仲間も増えてきてアドバンスジャパン株式会社を設立したんです!!
*なるほど!警察官から起業は全然違いますね笑*
では、次回のインタビューでは会社設立のきっかけやこれからの会社の展望を聞きたいと思います。
ありがとうございます!!